西東三鬼『神戸』。
... 西東三鬼の特集だったのだ。 もちろん、彼に教わらずともあたしは西東三鬼を知っている。 神戸の街の原稿を書き出した頃に読んだことがある。 といっても、あたしは俳句を詠まないので、 「神戸」「続神戸」なんかだけなんだけど。 ...

西東三鬼 賛句
西東三鬼の句はほんのりとおとなの匂いがする。ちょっとエロティックで艶やかだ。 白馬を少女〓れて下りにけむ 西東 三鬼 哭く女窓の寒潮縞をなし 西東 三鬼 絶壁に寒き男女の顔ならぶ ...

好き句74 西東三鬼
電柱が今建ち春の雲集ふ 西東三鬼 電線を地下にして、むかし建てた電柱をなくしているのが近年の事情。「電柱が今建ち」が醸す希望には懐かしい肌理がある。

西東三鬼の世界(その五)
... なお、この句について、幡谷東吾の「西東三鬼の助走時代」(「俳句(昭和五十五年四月臨時増刊・西東三鬼読本)」)の中での、次のような的を得た評がなされている。 「水枕」の一句は、三鬼の句作歴浅かりし日に ...

西東三鬼の世界(その四)
... 西東三鬼は、「京大俳句」の平畑静塔らの面々だけではなく、禅寺洞・篠原鳳作らの「天の川」の面々、そして ... 「三鬼の『俳意』」(「俳句(昭和五十五年四月臨時増刊・西東三鬼読本)」)の指摘が実に面白い。 三鬼が俳句を始め ...

西東三鬼(さいとう さんき、1900年(明治33年)5月15日 - 1962年(昭和37年)4月1日)は日本の俳人。本名・斎藤敬直(さいとう けいちょく)。
1900年5月15日岡山県津山市南新座に生まれる。
1915年(大正4年) 県立津山中学校に首席入学。
1919年(大正8年) 母を当時大流行したスペイン風邪で亡くす。同年、上京し青山学院中等部に編入するが中退。
1921年(大正10年) 日本歯科医学専門学校(現日本歯科大学)に進学する。
1925年(大正14年) 卒菜、同年秋に結婚し、シンガポールに渡り歯科医を開業する。しかし、反日運動の高まりと、自身のチフス罹患のため1928年(昭和3年)帰国し歯科医院開業。
1933年(昭和8年)東京市 東京の神田共立病院に勤務していたとき、患者の薦めで俳句を始める。
西東三鬼の詳細